黙祷
いつもお世話になっております。
愛宕山です。
今日は、あの東日本大震災より10年です。
まず、当時亡くなられた方々のご冥福と、被災地の一日も早い復興を心から願って、この場をお借りして黙祷を捧げます。
2011年3月11日(金)、14時46分
あの当時、皆さんはどこでどのようにお過ごしでしたか?
職場で勤務中、学校やクラブ活動、自宅で家事や休憩、まだ生まれていなかった方もいらっしゃると思います。
私は当時19歳。大学1年の春休みでした。
金曜日でしたので、午前中は自宅で過ごし、午後は大人の囲碁教室の講師を務めに行っておりました。
大人の生徒さん相手に指導中、少し強めの地震が来たかと思いきや、あっという間に大地震に。
ほとんどの講師や生徒さんたちは走って外へ行きましたが、2人くらいのおじさん(70代)は、「別にこのくらい大丈夫だ」と言って、のんびり囲碁を打ち続けていました(汗)
いやいやダメでしょう!!(笑)
そのおじさん2人を引っ張って、何とか外まで抜け出したものの、まもなく建物は閉鎖、解体されました。
仙台駅周辺へ来ると、行き交う人々は大混乱で、まるでゴジラ映画のワンシーンのような光景でした。
信号は消え、看板や物が崩れ落ち、こんな世界が存在するものかと、唖然となったのを覚えています。
(2021年1月撮影の仙台駅前。写真左奥に見えるSS30ビルのアンテナの一部が、震災により失われました。)
ライフラインは全て停止
もちろん、電気、ガス、水道などライフラインは全て止まってしまいました。
その日の夜は、家具が散乱した部屋の中を土足で上がり、お菓子などを集めて腹に入れると、すぐに就寝しました。
次の日、同居していた母親が腹痛を起こし、トイレを使いたいと言い出します。
そこで私は、自転車で片道30分ほどの河原へ行き、トイレに使う水を汲んでくると話します。
当然母親は「地震の翌日に河原なんて、死にに行くのか!!」と大激怒(笑)
それでも行くと言い張る私と、力ずくで止める母。
見かねた?近所の人が、近くの公園の水道水が使えることを教えてくれて、事なきを得ました。
未だ行方不明の知り合いも・・・
当時はガラケーを使用してましたが、数日間は回線が混み合い、電話やメール1つにしても大変でした。
片っ端に親戚や知り合いに電話をかけ、メールを送り、ひたすら安否確認。
ほとんどの親戚や友人知人は無事を確認することができました。
しかし、震災以来行方が分からなくなった知り合いや、学校へ戻ってこない同級生も、何人かいました・・・。
1日も早い完全復興を、心からお祈り申し上げます。
10年経ったものの、未だに仮設住宅でお過ごしの方や、片付かないガレキの山はたくさんあります。
まずはそう言った復興支援を最優先に、政府には動いていただきたいです(あくまでも個人的な意見として)。
東京オリンピックを開催する多額な費用を、復興支援など、有意義なことに使っていただくことはできなかったのかと・・・。
幸せは1人1人違うのはもちろんです。
遊ぶ時間が幸せな人もいれば、好きな人と一緒にいるのが幸せな人、1人で気楽に過ごすのが幸せな人。
しかし、本当の幸せの原点は「衣食住」だと私は思ってます。
何をするにしても、「衣食住」が整っていなければ、やりたいこともできないし、夢も叶えられなくなってしまいます。
「衣食住」を満足させるために、人は一生懸命に働きます。
最後に
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今日も私のつまらないトークにお付き合いいただき、ありがとうございました(^^)
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