目次
囲碁=難しい!?本当に頭のいい人だけがやるもの!?
どうも!あたごやま囲碁道場長、茶碗のかどです^^
囲碁って全然分かんないし難しそう。頭いい人がやるものでしょ?そんな大変な勘違いをされているあなた、茶碗のかどが昔からとんでもなくダメダメで不器用だと知れば、そんな見た目だけの先入観のまま、囲碁に無関心ではいられなくなりますよ!(笑)
小さい頃からの茶碗のかどを、ウケる雑談話として記事にしていきますので、おせんべいでも片手に読んでやってください(笑)
囲碁に出会う前から問題児だった茶碗のかど
幼少期からおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて育ったので、行動や考え方、好みがお年寄りゆずりでしたね(笑)
幼稚園の頃から相撲が大好きで、みんなが園庭で遊んでいる時、1人だけ園長室のテレビで相撲を観てるくらい(笑)
絵を描いても何の絵か分からず、先生や親は毎回苦労。園庭で遊べば縄跳びを真っ二つ、サッカーボールをとんでもない方向に蹴っ飛ばしてガラスを割り、ぎゅうぎゅうに詰まった本棚の本を力任せに取ったら、本棚ごと倒してしまったりと、他にも色々・・・(汗)周りの子達と同じように遊べなかったのはご想像の通り(^^;
この通り、よく親戚や近所のおばちゃん達が集まってきました。
71歳で囲碁覚えて、78歳で永眠されるまでボケずに済んだ母方のおじいちゃんと(笑)
写真を見る限り、見た目はどこにでも居そうなごく普通の子供ですが・・・。
テスト平均20点、学年ビリの成績、何やっても不器用・・・
小学校に上がってからは更に問題児に成長し、週に何回か実施される豆テストは平均20点、学年でビリから1位か2位の競い合い・・・(汗)勉強が出来ないだけでなく、理科の実験では導線を絡ませて発火、消防訓練では消火器を破裂させ、しまいには初代校長の銅像をてっぽう柱代わりにして根こそぎ壊してしまうほど、マンガにでも出てきそうな典型的おバカで不器用人間(笑)
めちゃくちゃ貧しく孤独な小学生時代
特に有り得ないくらい周りから驚かれることは、週に何回かは学校に行ったふりをして、その辺で拾った放置自転車を乗り回し、ゴミ捨て場や歩道橋下から拾ってきた空き瓶や古本を集めて換金しに行ったり、街中の自販機の釣銭口に手を突っ込んで歩き、小銭をかき集めてました(笑)
放置自転車の乗り回しも、自販機のおつり探しも、今のご時世そんなことしたら大問題ですからね(汗)いや、当時でも十分アウトだったかも知れませんが、さぞかし近所では有名な悪ガキだったのでしょう(笑)
小1の夏に、父親が会社を倒産して両親が離婚。母親に引き取られ、小さなアパートに母親と2人暮らし。
その後母親は、毎朝早くから夜遅くまで働いてくれ、それでも家計は苦しく、地元の広〇川へ無理心中に行こうと何度考えたか分からないと、後に話してましたね。
子供なりに精一杯、少しでも家計を助けようと必死に小銭をかき集めていたのでしょう。
夜も早い時間から電気を消すので、勉強もほとんどしたことがなく、時々天気の良い夜に、窓を開けて月の光で宿題をやる程度でしたかね。。。
普通の小学生だと、土日は友達と遊びに行ったり家族と過ごしたりするのでしょうけど、母親は土日もほとんど仕事だったので、一人っ子の私は相変わらずそんな悪さばかりしていたので、さすがに母親もこのままではダメだと思い、広告に載っていた子供囲碁教室を勧めてきたのです。
最初の人生の転機、囲碁との出会い
週一回土曜日の3時間。当時は短期講座もあったので、「少し行ってみたら?」と言われ、一度は嫌だと言いましたが、何とか後押しされて結局参加することになりました(笑)
もしあの時行ってなければ、その後の人生はだいぶ違ったものになっていたでしょうし、ここでみなさんにお会いすることもできませんでした!改めて、良いご縁と囲碁には感謝ですね☆
初めて囲碁教室に入ったのが2002年10月。当時、小中学生の間では「ヒカルの碁」というアニメが大ブームで、その影響で通い始める子供たちが多かったのですが、流行ものに興味なかった私は、本当に全く分からないまま入門。学校だけでなく、なんと囲碁教室でもビリになってしまいました(笑)
その後も、1か月くらいはなかなか勝てず苦戦が続きましたが、週1回ということはまだ初めて4回くらいしか通ってなく、しかも全然まじめにやってませんでしたから、今思えば当然ですね(笑)
時期がちょうどクリスマス近くなり、母親から少しばかりクリスマスプレゼントに、初心者用の囲碁本を買ってもらいました。読書が大嫌いだった私ですが、家でも数日に1回「自主的に」読むようになり、教室で実践して先生からご指導いただくと、急に周りの子達に勝てるようになっていき、3か月後には教室で2番目になったのです!
1番だった子は、1つ年下のM君でしたが、この子はおじいちゃんがお強い方で、時々家でも教わっているとのことでした。
その頃には私も、自然と「囲碁の魅力」に取りつかれ、お年玉でまたもや自主的にレベルアップした囲碁本を買い、碁盤と碁石を紙で作ってまでやるようになってました!(笑)
そしたら気が付けば、M君をも抜いて、入門わずか半年程度?で教室トップになってしまいました。
これまで何に関しても、トップになったことなどなかったものですから、我ながら嬉しくて少々天狗様になってしまったのを覚えています(笑)
しかしその直後、後輩として超強敵が入門して来ました。彼は6歳下で幼稚園年長さんのI君。地元で有名な企業の経営者のご家族で、すでに自宅やその他色々な場所でプロの先生から指導を受けたりしていて、入門当初から私と同等くらいの実力でした。
囲碁には年齢も性別も関係ない!
囲碁に年齢が関係無いことを、その時身を持って実感しましたね。大人の6歳差であればともかく、子供の6歳差は全然違うじゃないですか!井の中の蛙だった私は、自分より強い幼稚園児が存在したことにひたすら驚いてましたね(笑)
その後、お互いに更なる上達を目指して、本格的な道場に移りました。I君はあっという間に上達していき、私は初段を目前に伸び悩み、やっと初段になってからも、なかなか二段に上がれませんでした。その頃には私は中学生になっており、これまた相変わらずの問題児(笑)自販機のお釣りを集めたり、古本や空き瓶を拾って換金したりはしなくなったものの、成績は5教科の合計点で2桁、不良グループと喧嘩したりサボったり周りに迷惑ばかりかけるまさに不良ですね(汗)
でも、囲碁を続けていて礼儀や相手を敬う気持ちが備わっていたためか、自分から喧嘩を仕掛けたり、集団で弱い者いじめしたりとか、そう言った事は一切しなかったですね。よくいる集団の不良とは違い、教室の隅で1人静かに腕組みしている一匹オオカミでしたね。
もちろん学校での部活はやらず、週4〜5日夜学の囲碁道場に通い続け、他のみんなより遅いながらも、中学校生活も終わる頃には二段になってました。
あの問題児が、道場の専任講師に!!
その後19歳(五段)で、自分が所属していた道場の専任講師になり、地元の東北大学囲碁部に籍だけ置かせていただき、学生大会や県大会、ローカル大会などに出場して、出前教室やボランティア活動なども一生懸命行いました。
あんなに不器用で勉強もできず、あんなに問題児だった私が、囲碁をやっていたおかげで数えきれないほど多くの方と関わり、人脈を広め、人を思いやる精神を自然と培いながら生きて来ることが出来たのです。囲碁と出会ってなかったら、今の私は間違いなくなかったですし、皆様とここでお会いするご縁も生まれませんでした。
ですから、1人でも多くの人に囲碁の魅力を伝え、マイペースに囲碁を楽しんでいただき、人生を豊かにするお手伝いができれば嬉しいなぁ〜と純粋に思います^^
(追伸)
囲碁教室入門後の内容は、上達することについて少し強調してしまったかも知れませんが、人によって環境や個人差は違いますから、あなたに合ったペースで無理なく「楽しみながら」オンリーワンを深めてみてくださいね^^
[…] 何を隠そう僕自身、小さい時からとんでもない問題児で何度親を泣かせたか分かりませんが、囲碁を始めたおかげでこんなにも救われ、人生大きく変わりましたからね!詳しくは囲碁に救われた個性派人生をお読みくださいませ^^ […]
[…] 以前書いた記事囲碁に救われた個性派人生 で私の経歴を詳しくお話させていただきましたが、菫さんと同じ歳の頃は囲碁に出会ってなく、学校に行ったふりして空き地で拾った放置自転車を乗り回し、空き瓶や古本を集めて換金したり、街中の自販機の釣り銭口に手を突っ込んで小銭をかき集めたり、とんでもない悪ガキでしたから(笑)母子家庭で、借金だらけで貧しかった家計を、少しでも楽にさせようと子供なりに頑張っていたのは事実ですが・・・。 […]
[…] 私がかつて講師を勤めていた子供囲碁教室では、囲碁の知識と同時に、礼儀作法もきっちり染み込ませておりました。もちろん私自身も、囲碁に出会った頃(小学5年生)は礼儀や尊重などカケラもない問題児でしたが、囲碁を習ったおかげで最低限の礼儀と人間性は持ち合わせられるようになりました(笑)詳しくは囲碁に救われた個性派人生 をご覧ください^^ […]